ゆっくりするブログ

最近SNS中毒になっていたのでゆっくりしようと思って。

抽象化

岡田×苫米地対談を少し見た。

 

自分はどうも抽象化というものがいまいち分かっていない。

苫米地さんの本は何冊か読んでるんだけど、言語化が抽象化であるみたいな事を書いてあったと思う。

自分は、頭の中にあるもやっと考えている事を言語化するという事はそれは具体化じゃないの?とかって思って、"具体"は"抽象"の逆だからアレ?ってなって分かんない状態になっている。

 

そもそも自分は言語化がとても苦手だと思う。言語化とは共有化であると思う。今持っている感覚を、人間に共通している定義に翻訳していく作業だと思う。その、言葉選びが非常に難しい。

自分は語彙力がない訳じゃないと思うのだけど、自分の感覚を言語に直す際にどうしてもうまく変換できないなあと感じて、あえて変換を放棄してしまう事がある。

長嶋監督の「バーっと来た球をガッと打つ」みたいな、そういう自分の感じたままを伝える方向に行ってしまう。

 

しかし僕はそれこそが抽象的なものを抽象的なまま伝える事だと思っていて、苫米地さんのいう抽象化(≒言語化)というのがピンと来ていなかった。

 

と、ココまで書いて苫米地さんの言う抽象化が分かった気がする。さっきの長嶋監督は感覚をそのまま相手に伝えるという事をやっている。つまり、自分の持っている感覚をそのまま相手に伝えようとしている。

長嶋監督の持っている感覚は目には見えないだけで、彼が実際に持っている感覚であり、それは具象である。そのまま伝えれば具象を具象のままに伝えるという事だ。

 

ようやく分かった。僕は自分の考えている事を具象としてそのまま人に伝えていたのだ。そして、言語化(抽象化)は伝えた相手に任せていた。

 

これは抽象化の放棄だったのだ。もちろん、抽象化せずに伝える事の良さもあるだろうけど、短所もいっぱいあるだろう。

 

ようやく分かって来た気がする。やはりブログに書くという事は大事だ。これも抽象化の一つなのだ。